健常者として暮らしていた人が、病気や事故などによって負った障害を中途障害といいます。中途障害者やその家族の生活は、それまでのものとは大きく変化することも少なくありません。
その変化に対応したり慣れたりすることは、決して簡単なことではありません。しかし、中途障害者として、そしてそばで支える家族として、悲しみに打ちひしがれるだけではなく、悲しみと上手に付き合い、再び平穏な暮らしを手に入れて生きていくことは大切です。
中途障害者とは
障害者には、生まれながらに身体障害や知的障害を持つ先天性の障害者と、健常者として暮らしていながら、病気や事故をきっかけにある日突然身体障害や知的障害を持った後天性の障害者がいます。
また、後者のことを、中途障害者とも言います。先天性の障害であっても、中途障害であっても、日々の暮らしのなかで不便だと思うことや辛いこと、乗り越えなくてはならないことがあるのは一緒です。
中途障害者の場合、それまで健常者として生きてきた経験があります。そして、だからこそ、ある時期を境に突然障害者として生きていくことをなかなか受け入れられないこともあるのです。
障害の程度が重く、障害を負った本人にそうした意思を確認することができないこともあります。ただ、そうした場合でも、生活が一変する苦しみを本人が感じていないわけではきっとありません。
さらに、今後、介護などを担っていくことにもなる家族は、健常者として生きていた家族が突然障害者として暮らしていくことになった現状に嘆き戸惑うことも少なくないでしょう。
家族の立場によって受ける心の衝撃が異なるというわけではありませんが、それでも元気だった我が子が、ある日突然寝たきりになってしまったら、そのときの両親の悲しみは計り知れないものがあります。
先天性の障害と中途障害を比較し、中途障害者の方が苦労が多いだとか、大変だとかいうことでは決してありません。ただ、ここでは、生活に突然大きな変化を余儀なくされる、中途障害者とその家族や、かかわりのある人たちの暮らしに焦点を当て、少しでも穏やかな時間を取り戻せれば良いという思いから、いくつかの考え方を紹介します。
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無理して受け入れない、無理して拒絶しない
自分が、あるいは家族が突然障害を負ったという事実は、頭ではわかっても、それでもそれを丸ごと受け入れるのは難しいことです。
だからこそ、生きていくために障害を受け入れなくてはならない、家族のために現状を受け入れなければならない、受け入れなければ他の障害者を否定していることになりかねない、などといった思いで、無理に現状を受け入れようと頑張る必要はありません。
言われるまでもなく、新たな暮らしのために奮闘し、目の前のことをこなすのに精一杯で、そんなこと考えている暇などないという人も多いでしょう。それでも、思うようにいかない暮らしが続く時やふとしたときに、疲労感や絶望感が、自分や家族が健常者として生きていた記憶を連れてくることもあるかもしれません。
そうしたとき、その記憶や過去を羨む思いから目を逸らしたり、そんなことを考えたら家族や障害を負った本人に申し訳ないと思ったりする必要はないのです。
障害の度合いが重く、寝たきりなどになってしまった場合、健常者と暮らしていた家族の姿と現在の姿が同一人物だと当然わかっていても、時間が一続きであること、そしてなぜこれほど姿が変わってしまったのかを受け入れられないこともあるでしょう。
そうしたとき、目の前の人は何も変わっていないのだと、無理やり強く思いこもうとしたり、過去の記憶と距離をとろうとしたりする必要はないのではないでしょうか。
自分のため、家族のため、現状を苦しいと感じるとき、無理に頑張ることで楽になること、改善できることはありません。過去を振り返り、未来に希望を持つことは時に辛いことかもしれません。
過去と現状との隔たりに、絶望すらするときがあるでしょう。それでも、時間は中途障害者や家族の味方です。失われたと思えるこれからの時間は、家族同士の思いや努力を育むために新たに得た時間です。
大変なことがあるかもしれません、悲しいことがあるかもしれません、時間がかかるかもしれません。それでも、今まで築き上げてきた家族の強い思いは、中途障害を負った後でも、強く光り、道しるべとなるでしょう。
今はできなけれど、過去にはあんなことができていた、またこんなことをしてみたいなどと、希望や目標を持ったり、過去にはできなかったけれど、今はこんなことができるなどと、過去を取り戻すだけではなく、新たな成長を手に入れることに目を向けられるようになったりするときがきっとくるはずです。
中途障害者やその家族が経験する苦悩は、こうした言葉だけで打ち消せる、あるいはすっぽり隠してしまえるほど簡単なものではありません。しかし、それでも、苦しみや絶望感のために、自分を押し込めるようなことは決してしなくて良いのではないでしょうか。
中途障害者本人の、そしてその家族の、過去を、現在を、そしてこれからを、できるだけ穏やかで明るいものにするために、障害という事実を受け入れる前に、自分の気持ちを素直に受け入れることが大切だと言えます。
意思の疎通がとれないほど障害が重くても、その人の思いや優しさが感じられた過去の記憶に励ましてもらえるのが家族です。
そうした温かい気持ちや記憶が新たに積み重なり、目の前にいる人は、たとえ姿に変わったところがあっても、紛れもないその人なのだと、時間をともにしてきた大切な人なのだと感じられときがくるでしょう。そして、その思いがこれからの希望になることも大いにあるのです。
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頑なにならず、頼って楽をする
障害者が暮らしていくためには、様々なサポートが必要になることも少なくありません。そうしたサポートのひとつに、福祉機器や福祉用具が挙げられます。中途障害者が、それまでと同じ環境で暮らしていくには、生活に必要なものを最低限揃える必要があるでしょう。
何が必要になるかは障害の程度や生活スタイルによって異なりますが、大切なことは、本人と家族の現状をできる限り楽にすることです。
福祉機器や福祉用具を揃えることで、過去の健常者としての暮らしがもう二度とできないと決めつけてしまったり、回復する希望や兆しがないということを受け入れたりすることにつながると考える人も少なくありません。
いつかまた元気になるのだから、そんなものは必要ないと福祉的なサービス全般を拒絶する人もいます。しかし、いつかは必要なくなったら嬉しいと思うようなものほど、最初のうちに導入しておくことが大切だと言えます。
福祉機器や福祉用具、様々な福祉サービスは、暮らしを楽にするサポートになるはずです。暮らしに余裕が生まれることは、障害者として生きるうえで、そして障害者とともに生きていくうえでとても大切です。
楽な生活というのは、回復や自分でできることを増やす生活を諦めるということでは決してありません。新たなことに挑戦するときや過去にできたことを少しでも取り戻そうとするとき、サポートが充実した環境は、本人や家族の支えにきっとなるでしょう。
いつか必要なくなってほしいものは、今必要なものなのだと、素直に受け入れることも大切なのです。そうした気持ちは、障害者とその家族の暮らしに、ゆとりと希望を与えてくれるでしょう。
あなたが頑張りすぎて擦り減ってしまうことで、悲しんだり、辛い気持ちになる人がいることを忘れないでください。福祉機器や福祉用具を使用することを受け入れられない気持ちが強い人もなかにはいます。
しかし、十分すぎるほど辛い思いをした中途障害者本人と家族は、生活のなかで不要な苦労を強いられる必要はないのです。必要なところに思いや力を注げるよう、それ以外のところではできるだけ楽に暮らすことが大切です。
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